ペドロ・ブロンフマンのスコアはアリかナシか? リブート版『ロボコップ』の音楽

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何だかリブート版『ロボコップ』の音楽の評価が芳しくない。
大体レビューで共通しているのが、
「ベイジル・ポールドゥリスのあのテーマ曲がほとんど流れないとは何事か!?」ということ。
果たして本当にリブート版『ロボコップ』の音楽はダメなのか?
自分なりに検証してみようと思います。

オリジナル・スコアの作曲を手掛けたのは、
ジョゼ・パジーリャ監督の『エリート・スクワッド』2部作でコンビを組んだペドロ・ブロンフマン。
パジーリャ監督のお気に入り作曲家とはいえ、
英語圏では知名度の低いブロンフマンの起用にOKを出した製作サイドの心意気は素晴らしいと思います。
外国人監督をハリウッドに招聘したり、
インディーズ出身の新鋭監督に大作映画を撮らせると、
「お前さんにも贔屓の作曲家がいるかもしれんが、今回はこの作曲家を使いたまえ」
…とスタジオ側(もしくはプロデューサー側)から迫られるのがこの業界の通例なので。

で、問題のポールドゥリス作曲のメインテーマですが、
おっしゃる通り、これは劇中ほとんど流れません。
オープニングタイトルで1回、
パット・ノヴァックの番組内で1回(か2回くらい)、
あとはエンドクレジットで1回だったかな…?
ポールドゥリスのメインテーマはサントラにも一応収録されているけれども、
アルバム3曲目の”Title Card”というプレイタイム49秒ほどの短いスコア。
リブート版『ロボコップ』に007や『ミッション:インポッシブル』シリーズのような構成のスコアを期待した人は、
正直物足りなさを感じたのではないかと思います。

ただ、自分もいろいろリメイク作やリブート作のサントラを聴いてきて、
時には映画音楽家の方に直接話を聞いたりしてきて思ったのですが、
作曲家の皆さんは、 他人の作ったテーマ曲を引用するよりも、
やはり自分のオリジナル音楽で勝負したいというのが本音なのではないかな、と。
他人の書いたテーマ曲を使うというのは、
一種の「創作上の縛り」というか、注文書とか指示書みたいなもので、
曲作りで窮屈さを感じる部分なのではないかと思うのです。

あるいは「オリジナルとは違うものを作りたいから、あえて有名テーマ曲は使わない」
というクリエイター側の意図もあるかもしれませんが。

というわけで、
「ポールドゥリスのメインテーマがほとんど聴けないからダメ」
…と切り捨ててしまうのは簡単ですが、
映画音楽ライターである自分としては、
「あのテーマ曲を使わずに、どこまでやれたか?」という観点から、
本作のスコアを味わいたいと思うのであります。

 

ブロンフマンが『エリート・スクワッド』でどんな音楽を鳴らしていたかというと、
オーケストラ音楽とは程遠い、
サンバの要素を採り入れた混沌としたスコアでした。
メインテーマらしいものもなく、ほぼ劇伴に徹したものと言っていいでしょう。
その事実を考えると、
今回はかなり頑張ってオーケストラ・スコアを作曲したのではないかと思います。
打楽器を効果的に使った躍動感溢れるリズムの組み立て方に、
ブラジル人作曲家の矜持を見たような気さえします。
そして「もうあの幸せな日々には戻れない」という壊れてしまった家族の絆を、
悲しげなピアノと歪んだ電子音で表現してみたり、
メロディー的な印象は薄いものの、ライトモティーフ的なフレーズも一応あるし、
総合的に見てかなり健闘しているのではないでしょうか。
これが『ロボコップ』の音楽ではなかったら、
また違う評価を受けていたかもしれません。

 

あるいは本編がR指定も辞さないハードな内容だったら、
ブロンフマンのこの音楽でも、
物足りなさを感じることはなかったんじゃないかな、とも思います。

 

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