
ゲイリー・オールドマン&レナ・オリン主演の悪女ノワール映画『蜘蛛女』(94)のブルーレイが発売になると聞き、速やかに予約購入しました。
この作品に関しては絶対に買いそびれたくなかったので、発売元のナイル大商店のサイトで買いました(amazonでも変えます)。
『蜘蛛女』は1990年代当時衛星の映画チャンネル(たぶんスターチャンネル)で観たのが最初でした。
「『トゥルー・ロマンス』(93)で極悪人を演じていた人が主演のすごい映画を放送してる」とMY母が言っていたので興味本位で観てみたら、当時ウブな学生だった自分はその強烈なストーリーに衝撃を受けたのでありました。

これはいつでも好きなときに観られるようにしたいなと思ってDVDを購入。
CDと同じサイズのプラケースで”DVD”と刻印されてあるヤツだから、本当に初期の初期バージョンのソフトですね。今回ブルーレイが発売になるまで、我が家ではこれが現役で稼働してました。

DVDの映像特典は日本版予告編だけでしたが、今回のブルーレイは「ピーター・メダック監督インタビュー(約44分)」「オリジナル予告編」、そしてDVD版と日曜洋画劇場版の吹き替えを収録という吹き替えマニア感涙の仕様。いまでは信じられませんが、あの頃はこんなクセの強い作品を午後9時台に地上波で放送してくれたんですよね…。いい時代でした。
封入冊子の岡田壮平氏(字幕翻訳家)のライナーノーツも読み応えありました。
メダック監督のインタビューはコロナ禍にリモートで撮ったものでしたが、語られるエピソードは興味深いものばかりでした。
ちなみに自分は1990年代当時、この映画で初めてマーク・アイシャムの劇伴を本格的に聴きました。
『蜘蛛女』の本編を観たあと音楽にも魅せられてサントラ盤がほしくなり、仙台市内のCDショップをあちこち探し回りました。
しかしそのとき既に映画の公開から2年くらい経っていたし、大作映画でもないからプレス枚数もそれほど多くなかっただろうと思われ、都内ならともかく地方都市のCDショップではサントラ盤を見つけることができませんでした。

「どこに行けば売ってるんだ…」と途方に暮れながら、なんだかんだで4,5年くらい中古レコード/CDショップを回っては『蜘蛛女』のサントラを探していたのかな。
大学生の頃に今はなき「サウンド・ユー」という中古CD店で偶然国内盤サントラを発見し、宝物を探し当てたような気分で製品を手に取ってレジに持っていったのを憶えています。確か製品状態が「A」のものが中古で1,600円くらいだったような気がする。

で、その数年後に中古CD/レコード市で輸入盤のサントラを発見し、ジャケ写が全く違うということで「これは資料的価値が高いのではないか?」と思い即購入。何年も探し求めていた『蜘蛛女』のサントラ盤を国内盤/輸入盤で揃えることができたのでした。

Mark Isham / Miles Remembered: The Silent Way Project – amazon music
アイシャムのライブ盤「Miles Remembered: The Silent Way Project」の差込解説書を読むと、『蜘蛛女』の劇伴はアイシャム自身もお気に入りらしい。
1999年当時は「へぇー、そうなんだ」くらいにしか思っていませんでしたが、いまの仕事(映画音楽ライター)をやるようになってから、「なぜアイシャム自身にとってお気に入りの作品なのか」と思うようになりました。
で、10年以上前にネット上でアイシャムのインタビュー記事を調べたら情報の裏付けが取れました。
アイシャム曰く『蜘蛛女』は「自分のスタイルに非常に近い曲を書くユニークな機会に恵まれたから」お気に入りなのだとか。
ことほどさように『蜘蛛女』の劇伴は本格志向のジャズなわけですが、オーケストラ/ストリングスの類は使っておらず、アイシャムがトランペット、フリューゲルホルン、シンセ演奏を担当し、あとのメンバーはベース、ドラムス、ピアノだけというカルテット編成。エンドクレジットを見ると「Romeo’s Industrial Art Ensamble」という名前もついてました。
劇伴ではヴィブラフォンのような音も聞こえますが、この編成だとキーボードのサンプリング音源なのかな。
本作の音楽は何と言ってもアイシャムのトランペットが素晴らしい。
どうしようもない浮気男で、汚職警官でありながらも完全なワルにはなりきれず、悪女の罠にハマって自滅していく主人公・ジャックの愚かさ、哀れさ、滑稽さ、そして生き地獄的な状況を生々しく表現したトランペットの音色に心を打たれる。
スリリングな場面で聴かれる奔放なトランペットを聞いた感じだと、即興演奏も多そうな感じ。
その背後で流れている複雑な電子音も、ジャックの不安と焦りが感じられて雰囲気満点。
“エレクトリック・マイルス”ならぬ”エレクトリック・アイシャム”の傑作スコアと言えるでしょう。
サントラ盤にはアイシャムの劇伴のほかに、アビー・リンカーンの”Bird Alone”とA.J.クロウチの”I Know Better Now”も収録している…のですが、自分はこの2曲をカットしてウォークマンに入れてます。
アイシャムのテンションの高い劇伴と組み合わせると、ちょっと合わないんですよね…。
愛人のシェリーがクネクネ踊っていたときの曲や、ジャックが”小遣い”を自宅の庭の穴に隠して踊っているときの曲は未収録。これらは音楽制作会社の作ったライブラリーミュージックなのかもしれません。
さて、この先は話の核心に触れる内容なので、映画をご覧になってからお読みください。
ところでブログタイトルに書いた「結末に関する考察」ですが、自分はこの映画を初めて観たときに「ジャックの妻ナタリーは夫の金を持ち逃げした」と解釈しました。
去り際に「あなたを安心させるある物を鏡台の引き出しに入れた」とジャックに言っていましたが、その引き出しにあったアルバムにはジャックの数々の浮気現場を撮影した写真が収めてあったので、「あなたとはもうおしまいよ」という意思表示だったのではないかと思ったのです。
しかしアルバムをよく見ると、浮気した女性たちの写真の中からモナの写真だけ取り去られている。
これはモナが証拠隠滅のため処分したのではないかと考えられます。
そして裁判所でジャックと対峙したモナは「(あんたの奥さんは)死んだわ。あんたも同じ運命ね」と捨てゼリフを吐いている。
この事実を踏まえて当方の解釈に修正を加えると、「ナタリーはジャックの金を持ち逃げしようとしたが、結局モナに見つかって殺された」のではないかと思います。
この解釈だと、妻との再会を夢見て5年も”約束の場所”ホリデー・ダイナーに出入りしているジャックは「仮に生きていたとしても、おそらく自分の元には戻ってこないであろう妻を待ち続けている」ことになるわけで、単に「妻はまだ生きているはずだ」と一縷の望みに賭けているよりも愚かで、哀れで、虚しい行動に映る気がします。
だがそれがいい。
カネと女で身を滅ぼした男の哀れで愚かな物語の結末としては最高の終わり方だと思います。
…というのはあくまで当方の解釈であり、「ナタリーが何を思い、彼女の身に何があったかはご想像にお任せします」ということなのでしょう。脚本を執筆したのが女性のヒラリー・ヘンキンですから、このあたりの女性の心理にはいろいろ含みを持たせているような気がします。
件の浮気現場の写真は、ナタリーの初登場シーンから既に何か匂わせている感じがありましたからね…。
やはり『蜘蛛女』は物語も音楽も奥が深い。
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